フォロー中のブログ
検索
以前の記事
2022年 03月 2021年 09月 2020年 05月 2019年 05月 2018年 03月 2017年 11月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 01月 2016年 07月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 01月 その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2012年 10月 08日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 10.風貌 研究室会議で忘れられない思い出がある。 始まる時にふとヨシザカの足元を見ると、履いてる靴は青(というよりは少し紫がかった)布(きれ)でできた黄色いゴム底の靴で、正面に名前を書く所がある。 要するに昔の安い上履きで、今時目にしない代物だ。 ちょっと吹き出しそうになるのを堪えながら、 「先生、なかなかおもしろい靴ですね」と言った。すると 「とても履き易くて快適ですよ。生協で980円で売ってます。皆さん、いかがですか?」 と真顔で答えた。これには一同絶句した。 だが、確かにヨシザカには似合っている。というか、ヨシザカにしか似合わない。 仕立ての良いウールのシャツと上着を着てこの靴が似合うのはヨシザカだけだ。 ヨシザカは鞄を持たなかった。代わりにいつも風呂敷を持ち歩いていた。 「何にでも融通無碍に変化する、世界で一番便利なものです」といつも言っていた。 そしてそれを持ちながら百人町の自邸と大学との間を忍者のようなスピードで往復した。 (初めて一緒に歩いた時、冗談してるのか?それとも意地悪なのか?と思った。それほど凄いスピードでいつも歩いていた。今から思うと、超多忙のヨシザカにとって時間を取らずにできる唯一の健康法だったのだろう。だから死ぬ歳まで山に登ることができた) ヨシザカがネクタイをした所を見たことがない。 聞くところによると、(コルビュジェと共に師と仰いでいた)今和次郎が退官後に早稲田に招かれおこなった講演('62)で「ネクタイは西洋の働き蜂の象徴だ」と諭され、その場で外して以来しなくなったという。 (専門学校の卒業記念に自らデザインしたループタイさえ本人はほとんどしなかった) また、トレードマークの髭を生やすようになったのは、同じ頃('63)にUIA(国際建築家連合)の会議でキューバに行き、カストロに会うので生やし始めたらしい。 (生やしたら、カストロ髭ではなく、ホーチミン髭になった理由はわからない) いずれにせよ、62、3年の頃はヨシザカの中で何かが化学反応して変わった、ターニングポイントの年だったと思う。 それ以前のヨシザカは、蝶ネクタイでお洒落で、(人によっては)西洋臭さのぷんぷんした鼻持ちならない奴に感じただろう。だが、それ以降はガラッと変わる。 それ以前は、コルビュジェのアトリエから戻り、颯爽と建築界に新風を巻いたのだが、この頃から「有形学」を語り、地べたに這いつくばって実践することを強めていく。 簡単に言えば、コルビュジェ的視点から(今和次郎的視点を経て)ヨシザカ的視点に移っていく時だった。それが風貌に良く表れている。 私が接するようになった頃のヨシザカは、既に自分の身なりや風貌に対して何の頓着も持っていなかった。たぶん、そういうものを超越していた。 その内から来る強烈な個性で、何を着ても何をしても様になってたし、カッコ良かった。 私もそうなりたいと思う。 だが、これだけは絶対無理だ、あと何十年経っても・・・ かずま
by odyssey-of-iska5
| 2012-10-08 23:54
|
ファン申請 |
||