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2012年 09月 28日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 8.夜の学校 「専門学校(大学の夜間部)のTAに誰かいいM1はいないか?」 と先輩のHさんから研究室に電話がかかってきた。 さっそくジャンケン大会をして、またしても全敗し、私がやることになった。 だが、それは私にはラッキーだった。 専門学校の校長先生はヨシザカだった。 ヨシザカは予てから大学の受験制度には批判的で、ユニークな人材が集まるにはどうしたらいいかを真剣に考えていた。 「3科目の試験の合計ではなく、それぞれを自乗して足せばよい」とよく言っていた。 その方が確かに一芸に秀でた人間は集まりやすい。 そういうわけだから、この頃の専門学校の入試は面接だけだった(と思う)。 ヨシザカ自らから質問されたという学生(と言っても、私より遥かに年上だが)からそんな話を聞いたことがある。それも建築には全く関係なく、 「あなたの好きなことは何ですか? 入ったら何をやりたいですか?」 という質問だったという。 だからだろうか、とてもユニークな人が多かった、少なくとも私がTAを担当した人達は。 また、その授業内容もユニークで、一年間ひたすらコンペだけをやり、最後に卒計を出すという内容だった。 それは、本来は専門学校の3年生のカリキュラムで、一通り建築を覚えた後に採るのが普通なのだが、集まった人達は皆専門学校が初めてで、しかもコンペなどやったことも無いという人がほとんどだった。しかも全員、私より年上だった。 不動産屋の親父や子持ちの主婦、会計事務所の受付嬢、建設現場のアルバイトなど、多種多彩だった。(もちろん、建築事務所で働く人もいた) 教える方も、U研の松崎さんや象の大竹ジュニア、アトリエ・モビルの丸欣さん、エンドウ・プランニングの遠藤さん、そして吉阪研の先輩の鰐のHさんなど、ヨシザカの薫陶を受けた人達ばかりで、今から思うと超豪華メンバーだった。 授業は夜の6時半から始まるのだが、生徒も先生も皆仕事をしているので、実際始まるのは7時過ぎだった。その間は私が外国の建築作品のスライドを流しながら、三々五々集まる人達にレクチャーをした。 最初の課題はいきなり7月提出のコンペだった。 皆不慣れなので、なかなかうまく進まなかった。 するとジュニアが「もう考えなくたっていいから何しろ描き出せ! 描き出せば、案なんて勝手にできるんだ!!」と凄いことを言い出す。 仕様がないので、エスキスを見ながら横からヒントを連発した。 ロットリングを触るのは初めてという人が多かったので特訓もした。 最後には間に合わないので、代わりに描いた。それで、なんとか全員出せた。 授業はいつも9時過ぎには終わるのだが、そこからTAと生徒の立場が逆転して、不動産屋の親父が音頭をとって高田馬場か新大久保の飲み屋によく行った。そういう場でのみんなの顔は学校とは違って生き生きしていた。そして最後に必ずこう言われた。 「ヨシザカ先生とお酒が飲みたい! 先生の話が聴きたい!!」 で、私はその話をヨシザカにすると、彼は忙しいスケジュールの中から何とかその時間を捻出してくれた。そして必ずその時間に来てくれた。 その夜の学生達、というか、おっさん、おばさん達の騒ぎ様は凄かった。 ヨシザカもいつも以上にくつろいで、その場に溶け込んでいた。 私はヨシザカがこの夜間学校を本当に愛しているのだとつくづく感じた。 結局、翌年も私はこのTAを続けた。 だから最晩年の弟子でヨシザカと一緒に酒を飲んだ回数は私が一番多い。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2012-09-28 15:41
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