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2012年 11月 04日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 11.コルビュジェと今和次郎 私はよく単刀直入に「(そのジャンルで)一番好きなものは何か」と人に訊くことがある。 それが自分とは違っていても、その人にはその人の見方があり、特に一番好きだというものには(私には無い)その人独自の見方があって、教わることが多いからだ。 たまたま研究室にヨシザカとM1数名しかいない時があった。 先生にお茶を入れ、雑談をしながら、 「コルビュジェの作品の中で一番好きな作品は何ですか?」と訊いた。 ヨシザカはしばらく考え、 「2つある。前期ではスイス学生会館、後期ではロンシャンだ」と答えた。 ヨシザカは1950年に戦後第1回目のフランス政府給付留学生として渡仏し、52年までコルのアトリエに在籍したから(戦前に渡仏した、コルの前期の弟子の前川國男や坂倉準三とは違って)後期の弟子だから、ロンシャンを挙げるのは当然だが、スイス学生会館は意外だった。それだけ発表された当時の軽やかで斬新なピロティが鮮烈だったのだろう。 また、「コルビュジェ全集は第1巻と第2巻でコルの技法はすべて出尽くしている」とも言った。後はその成熟だ、ということなのだろうが、原点や原形を重んじるヨシザカらしい見方だなと思った。 U研の大竹十一さんからヨシザカの描いた図面は無いと聞かされたことがある。 とても忙しい時に一枚だけ描いたらしいが、結局大竹さんが描き直したと言っていた。 なので、ヨシザカの描いた図面はこの世には無いとばかり思っていたが、ある時コルビュジェ全集の第5巻を見ていて、Takaというヨシザカのサインを見つけた。それはカプ・マルタンの「ロクとロブ」プロジェクトで、配置図と立面図の両方に出て来る。 まさかコルビュジェ全集でヨシザカの描いた図面に出会えるとは思ってもいなかったので、望外の喜びだった。 この立面図についてはある所でヨシザカが、立面を描いた時は面白くないと思ったが、そのバックにコルが山の景色を描き込んだら途端に生き生きして、なるほどなと思った、と語った文章を読んだ覚えがある。 コルは建築家であると同時に画家なので、見え方が違うのだろう。 ヨシザカはフランスから帰国後、大竹さんを誘って設計活動を始める。(後にU研究室いう名になる。この「U」の謂われには諸説あるが、正確にはわからない。訊いておくべきだった) ヨシザカはコルビュジェの後期の弟子だから、U研は当然コルビュジェの後期のデザイン手法を援用するのだが、その最初の段階からして、コルビュジェには無い多くの不純物や面倒くさいこんがらがった物を抱え込んだデザインを展開して行く。 簡単に言うとそれは「生活」だ。 コルビュジェは「生活」をデザインから切り離すことでデザインを自由にし、新しい意匠をまとうことに成功した。もっと正確に言えば、「生活」を単純化して「機能」という言葉に言い替え、さらに「機械」のイメージにすり替えることで新しい意匠をまとうことに成功した。 だがヨシザカとU研は「生活」をデザインから切り離さなかった。それどころか逆に「生活」をデザイン化することに没頭した。その結果、コルビュジェ的ではあっても、デザインの明快さとシャープさからはほど遠い、ユーモアと温かみのある鈍臭い形のデザインが残った。 ここには今和次郎の影響が深く感じられる。 ヨシザカが今和次郎に出会う(1939)のは、コルビュジェと出会う(1950)よりずっと早く、早稲田の学生時代には今和次郎の指導で農家や民家の調査に出かけている。そして「生活」に目覚めて行く。 フランスに渡る直前には今和次郎にハッパをかけられ、「住居学概論」「住居学汎論」をまとめている。 つまり「生活」への関心はコルビュジェのアトリエへ行く前から既にあったのだ。 こうしたことを直感的に感じたのは、吉阪自邸(1955)の平面図を初めて見た時だ。 この平面図はとても不思議だ。 縮尺が1/200なのに、玄関に「外套掛ケ」、台所に「手拭・フキン掛ケ」、洗面に「手拭カケ」と書かれている。(もしかしたらそれは釘を数本打てば済む程度のことかもしれないのに、この大きな縮尺でそれが書かれている) 反対に通常なら記載があってもよさそうな部分のことは抜け落ちている。 この、人を食ったような平面図の記載は何を表しているのだろう。 答えは「生活」だ。 この位置に人が来た時の動作や必要な物のメモ書きであり、後にデザイン化される物たちのリストだ。それは農家や民家の調査の時のメモ書きに似ている。 大きな目と小さな目の複眼的な思考を感じる。 ついでに言えば、3階建てなのに1階のピロティは「地上」で、2階が「1階」、3階が「2階」と書かれている。これも不思議だ。 1階は人工地盤でみんなのために解放されるべきだから、その上を建物の最初の1階と呼ぶのは当然だろうという理屈から来ているのだが・・・ コルビュジェは来日してこの吉阪自邸に立ち寄った際、何を感じただろう。 単にヘタクソと思ったか、それとも自分とは異質な何かを感じたか・・・ 生きてたらコルにも単刀直入に訊いたに違いない、私は無鉄砲だから。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2012-11-04 19:14
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