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2013年 03月 07日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 13.戦争ミュージアム 吉阪研では毎年M1は国際コンペをやるのが慣わしだった。 だが、私達の代はそれに見合った国際コンペが無かった。 「ミュージアムをやりなさい。そしてそれを早稲田祭で発表しなさい」 とヨシザカから不思議な提案を受けた。 真意が掴めなかった。何をやれば良いのか、さっぱりわからなかった。 (後になって、ヨシザカのアトリエのU研が栃木県立博物館の指名コンペに参加するのを手伝った際、「これだったのか!」と思った) だが、そうとは知らない私達5人はいろいろ話し合ったが、いつまで経っても埒が明かなかった。仕方がないので、しびれを切らした私が、 「戦争を主題にしたらどうだろう? 賛成でも反対でもなく、どちらにも加担しない、 客観的に戦争を見つめるミュージアムをつくったら?」 と言った。 他にこれといった意見が出なかったので、それをやることにした。 敷地は皇居前広場がいいだろうということになった。 だが、早稲田祭(正確には、同時期におこなわれる理工展)で発表するには私達5人ではパワー不足なので、下級生を集めることにした。 ヨシザカの授業の最後に時間をもらい、1年生に話をした。 「あれじゃ、ちっともアジったことにならないな」とヨシザカから辛い採点をもらった。 だが、どういうわけか10人くらいのメンバーが集まった。 週一でみんなで集まりアイデアを出し合ったが、イマイチ盛り上がらなかった。 仕様がないので、夏休みにみんなで裏磐梯に合宿に行った。 喜多方の蔵を見たり、ラーメンを食べたりするのは盛り上がるのだが、宿屋に戻ってアイデアを出し合う段階になると皆沈黙し、相変わらず前へは進まなかった。 言い出しっぺでリーダーである私は内心焦った。 夏休みが終わり、いよいよ早稲田祭が近づいて来た。 発表場所は51号館のB1階のドライエリアに決まった。 あまり見えない場所だし、インパクトが無いので、51号館(18階建)をそのま新聞紙とロープで覆うことを提案したが、(ヨシザカはおもしろいと言って理工学部の教授会に掛け合ってくれたが、)却下された。 いよいよ焦った。 大学の一室をもらい、ほとんど合宿生活状態になった。 (その時、同期のAと一緒に徹夜をしていて、私の好きだった曲が「サキソフォン・コロッサス」に入ってる「セント・トーマス」だとわかり、ジャズにのめり込むようになった) ドライエリアの模型を作って、いろんな案を検討しながら何とか打開しようとした。 夜中にヨシザカが来て討論の末、決まりかけてた案がよく潰れた。 少しカリカリした。 結局、(当時、理工学部で新校舎を増築中だったので)建設会社から足場を借りて3層分のキュービックな空間をドライエリアに組み立て、内部に展示をすることになった。 他にも、漁協から漁網を借りてドライエリアを覆ったり、ヘリウムガスで風船を大量に飛ばしたりした。 ここに至って、一つの大きな問題が露呈した。 足場や漁網でミュージアムを組立てても、内部に展示する物が何もない!! 世界中の現在進行形の戦争を地図にプロットするくらいならできるが、その一つ一つを掘り下げて因果関係を説明するのは難しい。 ビデオをつくるには時間とお金がない。 人を呼んでシンポをやるには手遅れだ。 話し合ううちにさらに時間が無くなったので、とりあえず各自で展示物を5つ以上作ることをノルマにした。 私もこのプロジェクトで私なりのメッセージを伝えたいと思った。 何枚か絵を描くうちに、戦争のアンチテーゼを訴えるには逆に戦争の生々しさから遠ざかった方が良いと思うようになった。 人間だけでなく動物や昆虫、草花も倒れていて、それをポツ〜ンとした哀しみで見つめる子供、という構図が自然と出来上がって行った。それをシリーズにして何枚も描いた。 (そのうちの一枚は、その後、国連の軍縮ポスターの国内コンペで銀賞に選ばれた) いよいよ当日の朝がやって来た。 徹夜で作った展示物をドライエリアに運び込み、足場で組んだ3層のキューブの内や外に取付けて行った。 本当のことを言うと、その作業をしながらとても惨めな気持ちだった。 いろいろ考えやってきたことが、この程度の、高校の文化祭の延長でしかない。 もっと劇的で建築的なやりかたがあったはずなのに、とうとう見つからなかった。 俺はリーダーなのに、チームを勝利に導けなかった。 なんて最低なんだ!! 敗北感に浸りながら呆然と足場のキューブを見上げていた。 そこに朝一番の客がやって来た。ヨシザカだった。 黙って静かにゆっくり見ている。 私は耐えきれなくなって、 「先生、これはダメでした。あれもダメでした。これもダメでした。あれもダメでした」 と言った。するとヨシザカは、夜中の討論とは打って変わって、 「これは良かった。あれも良かった。これも良かった。あれも良かった」と言った。 初めてヨシザカから教育者としてのレッスンを受けた。 もちろんその時、後に私が教育の現場に立つことになろうとは知る由もなかったが・・・ かずま
by odyssey-of-iska5
| 2013-03-07 21:41
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