|
フォロー中のブログ
検索
以前の記事
2022年 03月 2021年 09月 2020年 05月 2019年 05月 2018年 03月 2017年 11月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 01月 2016年 07月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 01月 その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2013年 05月 05日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 15.名護市庁舎コンペ 沖縄の名護で市庁舎のコンペがおこなわれることになった。 (この要項は格調高い名文だが、当時は原昭夫さんが書いたとは知らなかった) 専門学校の課題としてやることになったが、先生の一人であるにも関わらずジュニアは、 「俺達(=象設計集団)は俺達で出すからお前達は今日から敵だ。 だから、終わるまで絶対顔を合わさない」 と言って授業に来なくなった。TAである私は(ひでぇもんだ!)と思ったが、なんとか学生の案をまとめ(3チームあった)提出間際までこぎ着けた。 丁度その頃、ジュニアから吉阪研に電話があった。 案ができたから模型の作れる奴を探してくれという。 探したが見つからなかったので、その足で歌舞伎町の裏にある象の事務所に行き、 「ごめん、ジュニア、見つからなかった」と言った。 すると壁を指差された。そこには予定表が貼ってあって、模型班のトップに私の名があり、スケジュールが書いてあった。 憮然とした。 「できるわけないだろ!!」と言うと、 「人数はちゃんと確保したからお前が指示しろ!」と言う。 またまた憮然とした。 しかも三六判2枚(1.8m×1.8m)の大きさで、5日間でやれという。 この暴虐無人でめちゃくちゃな振り方は正にジュニアだ。 だが、案のスケッチを見たら結構おもしろそうだった。 迷った末にやることにした。 まだ10日くらいはある。終わってから専門学校の学生達が作業する合宿先に駆けつければ何とか成るかもしれない。 それから5日間、ほとんど毎日徹夜が続いた。 そして5日目の夜、ほぼ形が出来上がった。 シュウちゃん(山田脩二)に写真を撮ってもらおうということになり、みんなで脩二さんを探したが見つからなかった。すると樋口さんが、 「シュウちゃんのことだから、たぶん、ここにいるだろう」と言って、六本木のバーに電話をかけた。見つかった。 翌朝、太陽が東の空から昇ろうとする頃、ヘベレケに酔っぱらった修二さんがカメラの機材を抱えて現れた。 みんなで模型を担いで屋上に上がった。 写真撮影が始まった。 修二さんは何か指示しているが呂律が回らず、意味も不明だ。 私は久しぶりに見る太陽と、その暖かさで少し上気したのか、突然、鼻血が出て来て、止まらなかった。無理も無い。ほとんど5日間寝ていない。 布団部屋に連れて行かれ初めて熟睡した。 起きたら夕方の5時を過ぎていた。 脩二さんが眠い目をこすりながらやって来て、「ヒグチ〜、できたよ」と言いながら写真の束をドカッと机の上に置いた。 見て驚いた。 どれもがよかった。 凄いな〜と思っていると、 「でも、これはこの木の陰が写ってるからダメ。これもこの影が強いからダメ。これもこの線が強過ぎるからダメ」と延々と駄目出しをして、「だから使えるのはこれとこれの2枚だけ」と言った。 普段はただの酔っぱらいだが、プロのカメラマンはやっぱり凄いな〜と初めて脩二さんのことを尊敬した。 それからすぐに新大久保の学生達の合宿先に戻った。 私が最後に見た時からほとんど進んでいない。 それから5日間、ほとんど毎日徹夜の生活が再び続いた。 そして5日目の夜、2つは出来上がったが、3つ目は未完のままだった。 「出さないとこれまでの努力がすべて無駄になる。 できる限りのことをして何とか出そう!!」 そう励まし、ハッチャキになって図面を描きまくった。 夜の11時半を回った頃、最低限はできたので梱包し、外に待たせてあった車に飛び乗った。 それはメンバーの一人のレース用の車で、助手席には座席が無かった!! シャーシにしがみつき、車は凄いスピードで深夜の新宿をぶっ飛ばした。 西新宿駅前のランプを回る時には車輪が浮き、ガソリンの臭いがした。 12時少し前に新宿中央郵便局に着いた。長蛇の列だった。 「あ〜、ダメだ!これで俺達のコンペは終わってしまった・・・」 そう思った。 すると、郵便局員が出て来てマイクで、 「今ここに並んでいる人達は皆、今日の消印になりま〜〜す」と言った。 凄い拍手が湧き上がった。 途端に梱包を解いて、図面を地面に拡げ、(どういうわけか持っていた色鉛筆で)必死で色を塗った。すると、上からライトが差して来て、 「もっと右。そこそこ。それから下。ついでにその左も。それからこっちも」 とやけに外野がうるさい。 見上げると象の連中だった。 ほどなく仕上げて再び梱包し、12時半を過ぎた頃、出せた。 再び新大久保に戻ってみんなで祝杯を挙げた(はずなのだが、それから先は私は昏睡状態だったらしく、まるで記憶がない) へとへとに疲れていたが、とても充実してハイな10日間だった。 結局このコンペは象が1次に残り、2次も1席になって、初めて公開コンペで勝った。 ある晩、U研でヨシザカを囲む会があった。 そこへいきなりジュニアが乱入し、大声で、 「先生〜!勝ちました〜!!」 と叫んで図面や説明書を拡げながら、いかにこの建物が素晴らしいかを凄い勢いで捲し立て始めた。 皆はその勢いに気圧されて黙って聴いていたが、ヨシザカはニコニコウンウン頷きながら息子の自慢話を聴いてるようだった。 ジュニアがとても羨ましかった。 俺も絶対こういう風にヨシザカを喜ばせてやろうと思った。 それがまさか1年半後に逝なくなってしまうとは・・・ その時は思ってもいなかった。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2013-05-05 16:12
|
ファン申請 |
||