|
フォロー中のブログ
検索
以前の記事
2022年 03月 2021年 09月 2020年 05月 2019年 05月 2018年 03月 2017年 11月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 01月 2016年 07月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 01月 その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2014年 04月 12日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 19.「語学」のすすめ ヨシザカは宴席で乾杯の音頭をとる時、いつもこう言ってた。 「では、皆さんと一緒にイタリア語で大きな声で乾杯しましょう! チンチン!!」 「チンチン!!」 そうやってその場の雰囲気を和らげていた。 実際、何カ国語を話せたのだろう? お父上が外交官で、小さい頃から何度も日本と外国との間を行き来し、その影響でコスモポリタン的思考をするようになったのだろうが、言語に対してはとても敏感で、ラテン語や漢字の原典に戻って解説し、いつもそこから議論を始めていた。まるで頭の中に言語辞典があるかのようだった。 多分、そうすることで、同質なものと変質したものとの違いを理解しながら、来し方行く末を考えていたのだろう。聞いてて地理的差異と時間的差異の両方をいつも感じた。 逆から言うと、ヨシザカは地理的差異と時間的差異をいつもパラレルに扱いながら何かを考えていた。だから研究室はどこか民族学研究所や考古学研究所の匂いがした。 もしこういう観点から語学と最初に出会っていたら、私も語学アレルギーに陥ることなく数カ国語を話せるようになっていたかもしれない。 だが、中学でいきなり英語の教師と喧嘩し、おまけに受験勉強に過剰に反応して反抗的だった私は、英語だけでなく、大学に入ってからの第2外国語のフランス語もほとんどサボリ続けた。 だからヨシザカに会って初めて語学に目覚めた。語学が単なる話すためのツールではなく、地球上の文化と色濃く交わる思考のツールだということを理解した。 (この考えは30の時にヨーロッパ16ヶ国を放浪して確信ヘと変わった) 研究室にはいつも外国からの留学生や他大学の教授が在籍していた。 私達の代は台湾からKさんを筆頭に3人のODrがいた。3人とも日本語は日本に来てから使い始めたのでそれほど流暢ではなかったが、意思の疎通は十分にできた。(それでも3人で会話をする時は中国語だった) ある時、Kさんの奥さんとお子さんに会ったら日本語がペラペラだったので、 「日本の方ですか?」と訊いたら、「いいえ、台湾人です」と言う。 聞けば、子供の学校のPTAで母親同志で会話する機会が多かったので、自然と流暢になったのだという。 語学は結局は慣れだ。 私は大学時代、ハンス・シャロウンが大好きで、彼について書かれた日本語の本はたくさん読んでいたが、ドイツ語の文献は(読めないので)ノーチェックだった。 ある時、親友のH君が持っていたドイツ語のシャロウンの本を借りて写真を眺めていたが、どうしてもその内容が知りたくなった。 卒論の指導をする代わりにこの本を翻訳すること、という内容の卒論生希望の貼紙を出したら、2人が引っかかった。I君とB君だ。 I君はドイツ語を習得してたのでOKだったが、B君は(フランス語はペラペラなのに)ドイツ語はさっぱりだった。で、どうするの?と訊いたら、父親の会社にドイツ語の堪能な人がいるので、その人を引き込むと言う。 少し困ったが、彼の性格がとてもいいのと、本の内容を知りたい誘惑が勝って結局OKし、翌週から勉強会がスタートした。 最初の頃は研究室でやっていたが、そのうちジャズ喫茶でやるようになり、だんだん脱線していった。最終的には分厚い本の半分くらいを翻訳し理解することで終わった。 だが、その最後の方に、人間の消化器官と有機的建築とのアナロジーについて語った部分があり、私はしてやったり!と思った。 そしてそれを研究室で話した。するとヨシザカは、 「有機的建築を英語で言うと Organic Architecture 。オーガニックと楽器のオルガンは元々同じで、語源はオルガノン。その意味は道具や器官だから、消化器官のアナロジーは当たり前だ」 と言った。私は少しギャフンと来たが、「文献で見つけたのは偉い」とも言われ、少し溜飲を下げたような気がした。 吉阪自邸には階段を上った玄関脇に耳の形をした窓と漢詩が貼ってあった。(昔、誰かに意味を聞いたが失念した) 不思議な玄関脇で、来客に何かを問いかけているような雰囲気があった。 和洋どちらでもなく、中国の古書から引いてるのがおもしろい。 似たようなのに、アルゼンチンのツクマン大学招聘教授として滞在中('61-'62)に地元のインディオから聴いた神話を吉阪流にまとめて出版した「宇為火タチノオハナシ」という小さな本がある。アンデスに古くから伝わるパチャママの物語で、たぶん、ヨシザカはこの語感も気に入っていたと思う。 それはこんなまえがきで始まる。 ・・・彼ら(註:インディオたち)はスペインに征服されるまでパチャママの 恵みを受けて平和に暮らしていました。今でもアンデスの高原では昔ながらに、 砂漠のような荒野に、静かに生活しています。しかし西洋(?文明?)の波が 押し寄せています。新しいパチャママが必要です。カップルの闇の世界から抜 け出して探しに行きたいと思っています。では……… 多くの言語に接し、多様な価値観を知ることで、複眼的多面的思考ができるようになる。 ヨシザカを見ているとそんな気がする。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-04-12 20:16
|
ファン申請 |
||