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2014年 05月 17日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 21.北アルプス M2の夏、ヨシザカと北アルプスに行った。 (M1の夏は裏磐梯の合宿と重なって行けなかった) 吉阪研の北アルプス行きには規則があって、上高地へ直接車で入るのはNGだった。 それはヨシザカがスーパー林道の建設に自然保護の観点から反対していたからで、昔ながらの徳本峠(とくごうとうげ)越えのコースで入るのがルールだった。 深夜、新宿駅にヨシザカを除く一行が集まった。 (ヨシザカは別用があり、「新島々」の駅で朝5時に落ち合うことになっていた) 最終の中央本線で松本まで行った。車内はガラガラで、横になって寝たが、列車の動きでなかなか寝付かれなかった。(ODrのFさんは床に新聞紙を敷いてグウグウ寝ていた) 早朝の4時頃松本に着き、そこから30分程で「新島々」に着いた。 駅とは言っても、ほとんど無人駅のようなガランとした感じで、誰の姿も無い。 本当にヨシザカは来るんだろうか? 5時になった。 やっぱり来ない。そう思った矢先、駅の端の暗いベンチが動いた。 ヨシザカだ! なんと我々より先に来て、ベンチで仮眠していたのだ。 でも、どうやってここまで来たのかしらん? 天狗にでも運ばれてきたのかしらん? みんなでウォーミングアップの体操をした後ゆっくり歩き始めた。 島々まで来ると山道に入った。 ヨシザカの指名で、先頭は私になった。 いつもあの走るようなスピードで歩く姿を見ているので、これは頑張らなければ、と気合いが入った。途中でみんなの付いて来るのを確認すると、意外や意外、ヨシザカのスピードは一番ゆっくりで、しんがりを歩いている。 疲れたのかなと思い、早めに休憩した。すると、ヨシザカは 「みぞぶち、もっとまわりの景色を見なさい! お前は何のために山に来たのだ!」 と言った。 ハッとして、その後はゆっくり楽しみながら登った。 ゆっくり登ったのに、岩魚留小屋には昼過ぎに着いた。 今日はここで一泊するのだ。荷物を下ろし、みんなで岩魚がいる川に行った。 もちろん素人の私達に岩魚は捕獲できない。代わりに主人が捕まえておいた岩魚が振る舞われ、いつしか囲炉裏の周りにみんなが集まり、ヨシザカの山岳部時代の話を聞く。 この峠は何十回も行き来したのだそうだ。下級生の頃は、行きはリュックの中は食材の野菜で重く、帰りは空っぽになった分に石を入れられ、鍛錬だ!としごかれたが、ちっともいいとは思わなかった、と言った。 西洋合理主義と個人主義に幼い頃から接していたヨシザカには、さぞかしそれは理不尽な行為に感じたことだろう。 次の日は上高地めざして徳本峠を登っていった。峠を越えるとやがて下りになり、ちらちら上高地が見える。徳本口まで行くとほぼ平坦になり視界が開け、そこから徳澤園までは長く感じた。 途中で早稲田の山岳部とぶつかった。途端にヨシザカの周りに人垣ができる。 ヨシザカは山岳部の会長なので、いろんな人が話しかけて来る。 私達はその場で休憩し、一段落するのを待った。 ところが何とヨシザカは山岳部の連中と話をしながらそのまま移動し始めた。 私達は隊長を盗られてしまったのだ! 「まあ、いい。俺達だけで登ろう!」とFさんが言うのでそうすることにした。 その日は徳澤園に泊った。 3日目は涸沢に行った。もちろんヨシザカとU研の設計した涸沢ヒュッテを見るためだ。 雪崩から身を守るために石垣で囲まれ、要塞のようだった。突風から身を守るため屋根も低かった。そんな中にあって畦地梅太郎のひょうきんな絵柄の暖簾や版画が飾ってあり、おもしろかった。 一休みして北穂高に向かった。いよいよ本格的な登山の始まりだ。 結構きつい岩場が何カ所かあった。途中でガスって来たので、その度に休憩した。 山頂に登り、直下の北穂高小屋に泊った。 4日目は大キレットー南岳ー中岳ー大喰岳ー槍ヶ岳の縦走をした。 大キレットで強風に煽られ、一瞬ヒヤッとするシーンがあったが、事無きを得た。 南岳を過ぎた辺りからガスが出始め、中岳に行く途中でとうとう先頭がルートを見失ってしまった。岩に描かれているマークがどこにも見当たらない。全員青くなる。 だが、どういうわけか私には方角の感覚がある。 「俺が先頭を行く」と言うと「ああ、みぞぶちが行くのがいいだろう」とFさんが言った。 それからは霧の中、夢中で歩いた。 とうとう絶壁近くまで来て、「本当にこのルートで合ってるんだろうか」と誰かが言った時、霧が少し晴れて真っ直ぐの方向に槍が見えた。 「ほら、みろ!合ってただろう!」と得意になって言った。 それからは霧が晴れて槍まで一直線に進んだ。 槍の頂上に登り、そこから北側を見下ろすと、加藤文太郎の死んだ北鎌尾根がぽっかり口を開けている。黙祷した。 槍ヶ岳山荘に泊まった。 翌日はただひたすら下山するだけだった。 槍沢を過ぎ、横尾まで来た時、もと来た道を振り返りながら思った。 せっかく苦労して山に登ったのだから、こんなに早く降りなくても良かったな 山頂にもう一泊して、朝から夕までボーッと景色を眺めていたら 何か違うことを考えたかもしれない ヨシザカは亡くなった年もFさんと一緒に山に登ったそうだ。 (Fさんの話では、さすがにその時は元気がなかったらしい) 死ぬまでヨシザカは山に行くことをやめなかった。 たぶん、下界で汚れた心を毎回山で浄化し、ふたたび下界に戻ってきたのだろう。 ヨシザカが私達のような、まだどうなるかもわからない学生と真摯に接し、功成り名を遂げた人間をむしろ疎んじたのは、それはヨシザカがピュアだったからだ。 それはたぶん山の成せる力だったのだろう。 かずま ![]()
by odyssey-of-iska5
| 2014-05-17 21:24
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