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2014年 05月 27日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 22.イレギュラーカーブ こんなことがあった。 研究室で私と下級生が話をしていたらヨシザカが部屋に入ってきた。 お茶を出すと「ありがとう」と言って会話の輪に入ってきた。 例によって時空を飛び交う話を始めた。 それは段々熱を帯びて来て、あっという間に1時間くらいが過ぎた。 突然、ヨシザカが懐中時計を取り出し、見ながら言った。 「しまった!今日は学会で会議のある日だった。 でもいいか。どうせ集まるのはおじいさん達ばかりだし・・・」 そして会話を続けた。 私は思わず笑ってしまった。 (自分だっておじいさんのくせに・・・) だが、今から思えば、その時ヨシザカは62だった。まだまだ壮年で元気だった。 このように学生と話をする時はいつも夢中で時間を忘れていた。 反対に形式張ったことで無駄に時間が盗られることは好きではなかった。 別に学会が嫌いだったわけではないが・・・ (現に私達が入学した時は学会長だった) M2になって間もない頃、「建築文化」の懸賞論文募集があった。 課題は「建築について 20世紀とは何であったか? ーコルビュジェ論を中心にー」で、審査員はヨシザカだった。 読んだ瞬間、以前途中までまとめて、結局卒論の没原稿となったコルビュジェのイレギュラーカーブの変遷を叩き台に20世紀を問い直せば、それに対する答えになるのではないかと直感的に思った。 だが、審査員はいかんせん自分の先生だ。 もし、出して、それが入選などしたら、かえってヨシザカの迷惑になるだろう。 だったらやめよう、そう思った。 そのまま何もせず夏休みになった。北アルプスに行った。 戻ってきた次の日、大学に行った。 エレベーターホールでヨシザカとバッタリ出会った。 二人だけだったので、身近な親しい話をした。 ヨシザカが、もうすぐ懸賞論文の締切で、終わったら審査をしなければ、と言ったので、 本当は僕も出したかったんです、と言うと、 「私がそんなくだらないことを気にするとでも思ったのか! 今からやりなさい!!」 と言った。 とたんにスイッチを入れられた。だが、あと3日しかないのだ。 どうやって原稿用紙30枚を書けというのだ?! それから3日間はほとんど徹夜だった。 最終日の朝、まだ原稿の最後が決まらなかった。頭も朦朧としていた。 その時、ラジオからビートルズの「The long and winding road」が流れた。 突然、電気に打たれたように、手が勝手にスラスラ動き始めた。論文の最後は、だからこうなった。 「‥‥だが、現代の建築家はそれ(註:<最大限の自由>の獲得のための努力)をやろうとしない。形態とたわむれて個人主義に陥るか、過去に目を向けてディレッタントに耽るか、現実の重圧に押しつぶされて盲になるか、のどれかだ。そして、誰も(コルビュジェのように)ドン・キホーテになろうとはしない。 僕たちは今、勇気をなくしている。 あまりに困難な道程を前にして、つい、後ろを振り返ってみたくなり、そして、そちらのほうに歩き出したくなっている。しかし、こんなことはいつの時代にもあったことだ。人びとは、何度も何度も逡巡しながら、だけどいつも歩いてきた。だから、僕たちの後ろには、長くて曲がりくねった道が残った。そして僕たちの前には、また、長くて曲がりくねった道が続いている‥‥。 ドン・キホーテにはならなくてもよい。しかしサンチョ・パンサぐらいにはなろう。君がコルビュジェを愛しているなら。 ドン・キホーテのように駆け足で走っていかなくてもよい。しかし、少しでも歩く努力はしよう。君が本当にドン・キホーテを愛しているサンチョ・パンサなら。 20世紀という時代が、まだ、あと20年残っているなら、たった一歩でもいいから、歩いてみる努力は大切だ。」 結果は入選作(下出賞)が1つ、選外佳作が5つで、その5つに私は選ばれた。 下出賞の論文はさすがにメリハリが利いてて深く、それに比べると私のは(やはり3日で書いただけあって)鶏のガラのように痩せていて、表現も稚拙だった。 ヨシザカから後で聞いたのだが、全部の原稿を読んで、コルビュジェを褒めた文章はまず落としたのだそうだ。次に批判的に捉えたものの中から、既に発表されている文章と似たようなものも落としたのだそうだ。結局、残ったものの中で誌面に発表された時の影響を考え選んだようだ。 審査評を読むと、私のは20世紀を「最大の自由を求めた時代」として捉え、イレギュラーカーブの分類とコルビュジェの心の振れを述べた部分が新しい分析として評価されたらしい。また、自分のこととして進むべき指針を求め続けた態度も好ましかったようだ。 この辺りのジャッジメントのしかたはいかにもヨシザカらしい。 授賞式は九段のホテルであった。 お開きになった後、その足で神田の古本屋街に行き、前から欲しかったパウル・クレーの「造形思考」の上巻と下巻を買った。 残った金でワインとケーキを買い、研究室に寄ってみんなで祝った。 帰りに新宿で両親に小物を買った(が、それが何だったのかは覚えていない) 賞金は一日で無くなった。 かずま ■
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by odyssey-of-iska5
| 2014-05-27 20:39
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