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2014年 06月 29日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 26.マドリード・イスラム文化センターコンペ 師走に入って間もない頃、ヨシザカから 「U研でやってる国際コンペを手伝ってもらえますか?」と訊かれた。 2つ返事でOKした。 そろそろ本気で修論を書き始めないといけない時期だったが、まあ、なんとかなるだろうと思った。 同級生は皆修論の制作中だし、下級生も卒計の手伝いでつかまらなかった。 その足でU研に行った。 大竹十一さんを中心にみんなで輪を囲んでエスキスを煮詰めていた。 U研には規則があって、提案をしない者は文句を言う権利が無いのだ。 象もその伝統は受け継ぎ、よくジュニアは「提案なしで反論しないんだったら、お前は俺の奴隷だ!」と若い連中に言っていた。 私にもエスキスのコピーが渡され、大竹さんがいろいろ説明してくれる。 聞くと提出まであと1週間しかない。 間に合うのかしらん?と心配していると、大竹さんは 「キミ、コーラン読んだことある? 仏教の経典もおもしろいけど、あれもなかなかだね〜」 などと、そんなことなど眼中に無く、悠久の時間を楽しんでいるかのようだ。 私は途中から入ったので、コンセプトうんぬんは他の人に任せ、エスキスの終わった分をひたすらドローイングした。 細部の詰めをやってる時間はないな、まず出せるようにするのが先決だ、と思った。 最後の3日間は徹夜だった。 そして最終日の朝が来た。 眠っていたらしく、製図板の上に顔を上げると、目の前にヨシザカがいる。 部屋には二人しかいない。 ヨシザカは黙って完成した図面を朝の光の中で見ている。 それから目覚めた私に気がつき、「おはようございます」と言った。 ストーブの前で、ヨシザカの持ってきたフランスパンとチーズを食べながら話をした。 コンペの話ではなく、やはりコーランの話だった。 ヨシザカと十一さんは兄弟のようだった。 その日に国際便で提出し、お役目御免となった。 家に帰って倒れるように眠った。 元日の夜、新年の挨拶にU研に行った。 ストーブの前にヨシザカを始め多くの人が集まり輪をつくっている。 神戸大のSさんも戻ってきてヨシザカの横で美味そうにパイプをくゆらしている。 軍艦ビルの設計で有名なWさんが先日のコンペの自分の案をみんなに見せて、返す刀でこう言った。 「お前達、弟子として恥ずかしくないのか! あんなみっともない案をヨシザカに出させておいて。 もう、こんなヨシザカは見たくない。早く引退させろ!!」 聞いてて思わずカーッとなった。ところが誰も反論しようとしない。 私と違ってみんな大人で、いつものことだと思ってるのかもしれない。 だが、子供の私は、 「そういうお前の案だって、ただのメタボリじゃないか! どこがいいんだ?言ってみろ!!」 と怒鳴り返した。これで火のついたWさんと私のバトルが始まり大変なことになった。 だが、ヨシザカはそれを目をつむってじっと聴いている。 Sさんも「もっとやれやれ!」という感じで美味そうにパイプをくゆらし見ている。 Sさんは大学院時代、Wさんと大げんかをして、床を引きずり回したという伝説がある。 なのに(なんでお前が味方しないんだ?)と私は思った。 このコンペの結果がどうなったのかは知らない。 何かが建ったという話も聞いていないので、途中で立ち消えになったのかもしれない。 U研も象もヨシザカもコンペは皆好きだった。そして夢中でやっていた。 それは公共の建物を純粋に自分のアイデアでつくれる数少ないチャンスだからだ。 そして、それはほとんどシジフォスの神話のように徒労に終わった。 だが、毎回それを手伝うことで、その現場で交わされる会話を聞きながら自分自身で考えることで、私の中に何かが育まれて行った。 後年、ベルギーでルシアン・クロールと話をした時も同じようなことを言われた。 しかもシンプルな言葉で。 「かずま、建築はロマンだ」 彼らは皆共通している。 そしてその遺伝子はたぶん私の中にも受け継がれている。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-06-29 20:42
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