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2014年 07月 24日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 30.別れ 冬になった。そしてその日がやって来た。 12月17日昼頃、M2のY君から事務所に電話があり、明方ヨシザカが逝ったことを知った。 もしかしたら、という思いと、いや、絶対にそんなことはありえない、という思いが交錯する毎日を送っていたが、いきなり垂直に答えが落ちて来て、しばらく呆然とした。 夜帰りに、新大久保駅でW大の51号館を見ると、17階の研究室に灯りが灯っている。 それに引かれるように降りて、知らぬ間にそちらに向かって歩いていた。 研究室にはM2やM1、4年の有志が残っていて、まるで主が戻って来るまでは城を護る、というように籠城用寝袋が床に敷いてあった。 みんな意外なくらい穏やかな表情をしている。 ライオン丸がお茶を入れてくれながら、わざとトンチンカンな話ばかりする。私もわざとトンチンカンな話ばかりする。そうしないと悲しくなるからだ。 みんなを労って帰る時、ドアに貼ってある等身大のヨシザカの写真がちらっと目に入った。 「先生、また明日!」と言って別れた。 次の日は事務所を早退して午後から新大久保のヨシザカ自邸に行った。 隣のU研のアトリエ内の机やイスがきれいに片付けられてて、そこに白い布で迷路のような通路がつくられ、その布にヨシザカの生まれた時から今日までの膨大な写真のリプリントが貼られていた。(シュウちゃん(山田脩二)が徹夜でヨシザカのアルバムからリプリントしたのをU研のみんなが貼ったと後で知った) それらの写真には未だ見たことのないヨシザカの姿が散見され、へー!とかホー!とか言いながら夢中で見て行くうちに、悲しい気持ちが少し安らいだ。 そして一番前まで来ると、花という花で覆われた棺が横たわっていて、そこにヨシザカが眠っていた。本当にただ静かに眠っているようだった。 しばらくその横でボーッとしながらヨシザカを見つめた。 と、突然、「起きろ!馬鹿野郎!隆正、起きろ!」と叫びながら、ある老人が花をヨシザカにぶつけ始めた。 みんなで止めたが、見ると1年の時の化学の授業の教授だった。ヨシザカの山岳部時代からの親友だった。どっと悲しみが押し寄せた。 外に出て庭で焚き火をしながら校歌を歌う輪に入り、大声でガンガン歌った。そうやって夜、終電まで仲間と過ごした。その間も菊竹さんを始め多くの建築家や文化人がひっきりなしにお通夜に駆けつけた。立ち去り難かったが、明日があるので一先ず帰宅した。 翌日は朝9時に全員が自邸の前の庭に集合した。 そこから遺影を持つNさんを先頭にみんなで棺を担いで西戸山公園まで野辺の送りをした。 公園で棺を中心にみんなで大きな輪をつくり、校歌を歌った。 それからフレー!フレー!ヨシザカ!をした。 バスが来て、親族や関係者が乗り、そこで散会になる(はずだった)。 ところが「みぞぶち、お前も行け!」と先輩達から言われ、私も同乗することになった。 本当は怖くて行きたくなかった。ヨシザカとの縁に止めを刺されるようで。 だが、バスの中でも着いた火葬場でも空気は意外なくらい和やかだった。 それは最後のお別れをする時も、控え室で待っている時も、骨上げをする時も変わらなかった。みんな冗談を言うように笑いながらヨシザカに話しかけていた。 私よりみんなずっと大人だった。 おかげで私もヨシザカの最後を安らかな気持ちで見守ることができた。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-07-24 19:25
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