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2014年 08月 01日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 31.After the rain 年が明けて間もなく、大隈講堂で大学葬がおこなわれた。 だが、どういうわけか内容は少しも憶えていない。 ただ、式後に講堂前でSさんの先導でフレー!フレー!ヨシザカ!をみんなでやって、ヨシザカのお骨の乗った車を見送ったのだけは憶えている。 私はその後もしばらくは黒い服しか着なかった。 気がついたら日記を書くことをやめ、最終的にはそれもすべて燃やしてしまった。 春になり、納骨の日に多磨霊園に再びみんなで集まった。 ヨシザカがお父様のためにつくったお墓は以前から雑誌などで知っていたが、本物を見るのは初めてだった。 (多分、ヨシザカが)フランス語に翻訳したインドの詩人タゴールの詩を、コンクリートが乾く前に書家の篠田桃紅さんが鋭いタッチで描いたそれは、年月の風化を伴って味がありすばらしかった。 しばらくそれに見惚れていたら、突然、長男の正邦さんから、お墓に彫る吉阪隆正という字をみんなで決めたいと提案があり、いくつか候補の書体が披露された。 私は個人的には一番流麗な細い書体が好きだったが、「ヨシザカは身体が細かったので、せめてお墓の字は太くしてやりたい」というWさんの意見が大勢を占めてそうなった。 一周忌の追悼集会で、ヨシザカの遺した膨大な文章をまとめて全集をつくろうということになった。それからみんなで何度か集まった。だが、事務所でチーフとなり仕事が忙しくなった私は次第に深く関われなくなってしまった。が、大事な会の時は無理をしてでも出た。 83年の夏の有形学会(ヨシザカの死の前年に始まった、ヨシザカと彼に賛同する人達の集まり)だったと思う。 本の分類と判型をどうするか決めることになった。 いくつか意見が出た中で、象の樋口さんの意見は抜群だった。 判型を新書判にしよう、そうすればジーパンのポケットに入れて世界中どこへでもヨシザカを連れて行けるし、どこでも彼の言葉を読むことができる、と言った。 その柔軟で新鮮な発想に参った。 私はといえば、全ての判型を変え、デザインや色も変え、本棚の中で凸凹しているようにしよう、それがいかにもヨシザカ的だ、という程度だったので、樋口さんの意見を聞いた時は思わず拍手した。 正直、これで決まりだな!と思った。 だが、そうはならなかった。 (分類は良かったが、)ハードカバーの普通の判型で、文字も小さく、普通の「学者の全集」に最終的にはなってしまった。 どこでどういう風にそれが決まり、実行に移されたかは知らないが、とても残念だ。 だが、私はその刊行が始まる前に事務所を辞め、ヨーロッパへ放浪の旅に出た。 いろんなことが煮詰まってしまい、心身共に疲れ果てた。 建築をやめようと思った。 だが、さりとて次に何を始めるか少しも思い浮かばなかった。 旅に出る前日、多磨霊園に行ってヨシザカと話をした。 こうして話をするのはこれが最後だ とその時は思った・・・ かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-08-01 17:16
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