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2014年 08月 23日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇1.ヴィラ・クゥクゥ ヨシザカとU研の作品で一番好きなのは何かと訊かれたら、「ヴィラ・クゥクゥ」('57)と答える。 この建物は最小限住宅である。 だが、その言葉からイメージされる小ささや切り詰められた生活感とは無縁の、豊かさと大きさ、宇宙をこの建物からは感じる。 ある意味、世界で一番リッチで大きな家だ。茶室と同じだ。 この建物はヨシザカの山岳部時代からの親友であるK氏の住宅だ。 だが、この建物が完成した後二人はどうやら絶交したらしい。 理由は二人の感性の違いで、設計時はこの建物は二人の間ではビバーク(緊急避難場所)のイメージで一致していたが、コンクリートが打ち上がった時点で二人の感じ方は決定的に違ってしまったようだ。 ヨシザカは岩の間に身を隠すのだから当然打ち放しのままだと主張する。だが、K氏は雪洞を掘ってその中に隠れるのだから当然白く塗るべきだと主張する。結局、K氏の主張が通り、内部は白く塗られたが、そんなこんなでとうとう二人の仲は絶えてしまったらしい。 だからこの建物の中を見るのは至難の技だと研究室の先輩から教わった。 だが、私は諦めなかった。 ある日、意を決して代々木上原の駅で降り、周辺を1時間くらい歩いて探した。 だが見つからなかった。 近くに交番があったので絵を描いて聞いた。お巡りさんは絵を見ながら 「そう言えば、窓の無い家が一軒あったな」と言ってその家の行き方を教えてくれた。 行ってみたら、あった。 どうやらこの家は窓の無い家として認識されているらしい。 驚いたのはその姿が竣工当時の写真とほとんど変わらなかったことだ。頭の上には巨大な無線のアンテナがあったが、それさえも小さな鯨の(イルカか?)の潮吹きみたいで、かわいいユーモラスな外観は昔のままだ。庭の草木も大きくなっていたが、きれいに刈り込まれていて、大切に使われているのが一目でわかる。 私はしばらくそれに見惚れていたが、意を決して入口のベルを押した。 老人が出て来た。たぶんK氏だ。 「僕はW大の吉阪研のM1で、この家は‥‥」と話し始めた途端、 「これから出かけるので!」とバタン!とドアを閉められた。 しょうがないのでスケッチを描きながら30分程眺めていたが、出かける気配はまったく無かった。 翌日、研究室でことの顛末をヨシザカに話すと、ヨシザカは 「それは(=見せないのは)彼があの建物を気に入ってるからだ」と理由(わけ)のわかったようなわからないようなことを言った。 気に入ってるのは確かだと思う。 あのメンテの良さと愛おしむような感覚は見ただけで伝わってくる。 この建物は菊竹流の「か・かた・かたち」で言うと、「かたち」の最たるもので、細部にまで究極のこだわりを見せている。 U研の建物は皆そうだ。世界で一つしかないものをつくるために彼らはすべてを注ぎ込む。そしてそれに触発されてクライアントも同様にのめり込む。 だから正面衝突するとこのようなことが起こる。 愛が無いからそうなるのではない。愛があり過ぎるからそうなるのだ。 それは愛の無い建物が蔓延するこの時代にあって、ある意味とても幸福なことだと思う。 この建物はサスティナブルだ。 むろんそれは断熱性能や耐久性の数値うんぬんを言っているのではない。 愛情の密度と深さ、大きさを言ってるのだ。 古いからと言ってストラディバリウスを壊す馬鹿はいない。 この建物はこれからもずっと残るだろう。 この建物を愛する人達の血の繋がりが途絶えない限り・・・ かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-08-23 12:41
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