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2014年 09月 15日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇2.大学セミナーハウス 大学に入って最初のオリエンテーションで行って以来、八王子の大学セミナーハウス('65〜)へは何度も行った。(吉阪研のOB会やヨシザカに関する集まりだけでなく、T大で教えていた頃は4年生を引き連れて合宿し、卒計のエスキスを一日中見たりした。できなければここから帰れないというルールだったが、なかなか進まぬ卒計に対する先生の心配をよそに、学生達は自然と親しみ、夜中まで酒を飲んで友と語らい、いい息抜きだと感じていたかもしれない) この建築群はいろんな点で思想を感じる。 まず、すべてが地形に添って埋込むようにバラバラに配置されているので、雨の日は傘をさして食事やミーティングに移動しなければならない。当然不便ではあるが、その代わり必ず自然と接することになる。今日の天気や風向き、気温、地形の起伏や草木の匂い、移動の度に異なるシークエンスや遠方の景色を五感で感じることになる。 こうしたことはヨシザカが登山家、冒険家であり、U研の多くも同様に山に登る人達だったから、彼らにとってはしごく当り前のコンセプトであったかもしれない。 次に各々の建物がすべて異なるデザインをしている。そしてそれらが地形の中でこだましている。それは個を尊重して異なることを良しとし、かつ柔らかな全体性を希求したヨシザカの「不連続統一体」という言葉を具現化している。 (本館の逆ピラミッド型の建物は「大地に楔を打つ」というヨシザカの言葉で有名だが、これには裏話があって、本館の内容とデザインが一致しなくて悩んでいた時、先に決まっていた中央セミナー館のピラミッド型の模型を誰かが逆さまに置いて食事に行き、みんなで帰って来てそれを見て、「これだ!」と思ったと大竹十一さんから聞いた覚えがある。 デザインが生まれる瞬間とは案外こういうものだ) この建築群の中で一番特徴的なのは、馬蹄型に並んだユニット宿舎の群れだ。 これについてはヨシザカから直々に以下のように聞いた覚えがある。 最小単位はどうしても個室ではなく2人部屋にしたかった。それは社会が始まるのは他者の存在があるからで、それを宿泊の段階から体験させたかった。 また、そのユニットを10から20くらい集めてグループをつくり、各グループごとに集まって討論ができる小セミナー室、中セミナー室を設けた。 また数グループが合同で集まるために中央セミナー館を、全グループが集まるために講堂を設け、いろんなタイプのセミナーができるようにした、等々・・・ この話くらいヨシザカは都市計画家だなと思ったことはない。 この施設群は社会の縮図なのだ。 だが、その社会の縮図も年月と共に変わって行く。 このセミナーハウスの発案者であり、館長でもあった飯田宗一郎氏はその強烈な個性と熱意、純粋性が故にやがて財団から去ることになる。 80年暮れにはヨシザカも亡くなる。 そして設立20周年の記念館を最後にU研も設計から離れる。 その後この建物はDOCOMOMOの「日本の近代建築20選」に選ばれた。だが、ユニット群の老朽化と共にそれらの取壊しの噂が聞かれるようになり、内心、とても心を痛めた。 2年程前、残ったユニット群の一部が芸術家向けの自然のアトリエ「アートビレッジ」として再生し、使われているという記事を新聞で読んで、ホッとした。そして、とてもうれしかった。 この施設群はヨシザカとU研の体質を一番よく表している。 これからも末永く存在し、多くの人にその良さを感じてもらいたい。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-09-15 20:37
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