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2014年 10月 30日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇3.大竹十一さんのこと 以前、大竹十一さんが描いたヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の図面を見たことがあるが、凄かった。 建物はもちろんきちんと描かれているが、それ以上に周囲の草木や土石までもがこれでもかと思う程に細かく描かれていて、しかも文字や数字やタイトルや方位までもがきちんとレンダリングされていて、見ていて気の遠くなるような作業量だった。 普通で言う図面を遥かに越えて、執念で描かれた絵画のようだった。 ボスがこうだから、U研の他の人の図面や、U研から独立した象設計集団の図面はいつもこんな感じで、それは建築に打ち込む姿勢や気持ちを私に教えてくれた。 だが、十一さんの本領はそんな所にあるのではなく、むしろ努力や執念とは無縁の、飄々とした、人を煙に巻くような言語感覚と意外性に満ちた話にあった。 ヨシザカにもそれは言えるが、ヨシザカの場合はある意味、直球でグイグイ押す感じで、それに比べて十一さんの場合は変化球でかわされた挙句にストンと納得させられる、そんな感じだった。まるでマジックを見ているようだった。 たまにしか会わない私がそう思うのだから、普段から接している人達は少なからず影響を受けただろうし、貴重な言葉の数々に出会っているに違いない。 そういう言葉を拾い集めて、「十一語り」という名の十一語録をつくりたいという思いがいつの頃からか芽生えた。 もっと言えば、(十一さんだけでなく)有名な建築家の事務所の No.2 の話だけを集めた「No.2伝説」みたいな本ができたらいいなと思った。それは元をただせば、建築はたった一人の建築家の名誉に帰すものではなく、その仕事に関わったチーム全体(クライアントや施工者も含めて)の名誉に帰すべきだという考え方から来ている。 建築はどこまで行ってもチームワークで、そいう点では野球やサッカーと似ている。 (ヨシザカも多分似たような考え方をしていて、トップダウンではなく、集団の不連続統一体を目指した。だから吉阪隆正建築研究所ではなく、U研究室なのだ) 「十一語り」の話は何人かの人には実際にした。 特に、十一さんの体質を一番よく受け継ぐ象の樋口さんには八王子のセミナーハウスで真夜中、酒を飲みながらその話をした。もし、その本をつくるとしたら、大元締めは樋口さんしかいないと思ったからだ。 樋口さんは「俺は十一さんと延々と話をした時のテープを持っている」と言った。 私は色めき立ち、「じゃ、やりましょう!」と言った。 だが、樋口さんの答えは意外だった。 「みぞぶち、No.2はNo.2 だからカッコいいんだ。 トップはトップ、No.2はNo.2の役割があり、それに徹するからカッコいいんだ。 テープは俺の宝物で、誰にも聴かせないし、そんな本もつくらない」 ズルイな~!美学で片付けるなんて!! でも、十一さんに面と向かってこの話をしても、十一さんはたぶんOKしなかっただろう。 黒子に徹するのが十一さんの美学で、 ヨシザカと十一さんは建築に関しては双子の兄弟のようだったから。 7、8年程前、十一さんが亡くなったと誰かから聞いた。 未だ「十一語り」は未完のまま私の心の中にある。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2014-10-30 21:55
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