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2015年 01月 17日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇6.自力建設 研究室会議でヨシザカの口から何度か出てきた言葉に「自力建設」がある。 これは先に述べた「発見的方法」と同様、昭和40年の伊豆大島の大火で現地に乗り込み、学生らと街中を踏破して行く中で身体的に得た感覚ではないかと思う。 つまり、よそ者が勝手にやってきて綺麗な復興計画案をつくり、お上の力で勝手につくるのではなく、現地の人とよそ者とが一体となって、よそ者は知恵を出し合い、現地の人は主体となって復興を担う(時には力仕事もおこなう)ようにしようとした時、自然と導かれていった結論ではないかと思う。 また、形式的で遅々として進まぬ計画案よりも実際に行動に移した方が手っ取り早いし現実的だという直接的理由もある。ヨシザカは理論よりも実際の行動を重んじる人間だ。 だが、この考えは自ずから建築家のレゾンデートルを脅かす危険性もある。 つまり、ルドフスキーの「建築家なしの建築」('64)で、建築家が出現する以前の方が世界は美しかったというパラドクスだ。そしてルドフスキーより前にヨシザカはこれと似た「環境と造形」('55)という本をまとめている。 (ただしヨシザカの場合は現代建築への批判というより、形の起源を追い求めた好奇心の織りなす旅という性格が強く、荒削りだがより純粋で根源的な感じがする) 建築家にはデザイン至上主義的な感じ方と、デザインを放棄してでもより価値のあるものへ従いたいと思う感じ方の二通りがあって、通常はそのアンビヴァレンツに悩むのだが、ヨシザカの場合はそれらが当初から両性具有し、比較的スムーズにアウフヘーベンしていたように思う。 だから自力建設といっても一方的にデザインを放棄したのではなく、もう一つの新しいデザインの在り方として捉えていた節がある。
こうしたことに気づき、深く考えるようになったのは、やはり実務に就いていろんな土地やまちに出かけ、多くの問題と直面するようになってからのことだ。 部屋の中で机に向かっているだけではわからないことは一杯ある。 先月も富士吉田のコンペで同じような経験をした。 このコンペは、かつては富士山信仰と織物業で栄え、現在は衰退している富士吉田のまちを、富士山の世界遺産登録を機にふたたび復活させようとするまちおこし・まちづくりのコンペで、部門は3つあり、私達はまちの外れにある今は使われていない製氷工場を地域のクリエイティブの拠点にリノベする部門に参加した。 実際、現地を歩いてみるとシャッター商店街が続き、かつての歓楽街も空き家が目立ち、疲弊は明らかだ。だが、これは日本全国どこの地方都市でも同じ状況で、だからその突破口を誰かが開かなければならない、その一つになれれば、という思いで参加した。 でなければ、1等賞金でも30万で、実際のリノベ費用は1500万以内なんて無茶なコンペには参加しない。まちを調査し、案をつくり、提出するだけでも既に持ち出しなのだから。 最終的に私達はオール富士吉田による全員参加型のまちづくりを提案した。 最初に限られた予算を有効に使い最小限の手を加えてトイレやキッチン、照明、階段、玄関部分など基本的な部分をリセットする。 次に内部の家具や什器、内装を富士吉田在住もしくは出身の作家、職人、アーティスト、市民、学生、子供、老人、障害者、ボランティアの力を結集してつくり、それぞれの作品には作者の顔、コメント、連絡先、価格を表記したタグを付け、作家のショールーム、ショーケースとする。 外装も富士吉田市内の小学生や幼稚園児、障害者に下絵を描いてもらい、それを大人が断熱塗料で描き、建物のアイデンティティと断熱性、メンテナンスを得る。 そして使うクリエイター達には外部に向かって積極的に活動を情報発信してもらい、次第に観光客や企業のマーケターで賑わうようになり、第2、第3、第4のリノベがおこなわれ、富士吉田のまちが復活していく、というストーリーを組立てた。 つまりデザインをするのではなく仕組みとプロセスを描くことで、市民参加型の自力建設によるまちづくりを提案した。 だが、私達の案は選ばれなかった。 最終に残った3案の公開審査を聴きに行った。 最初の案は壁を取り払って3面をガラスと棚で覆い、内部は床も一部取り払う大改造で、都会的でカッコイイけど一体いくらかかるの?という内容で、コストや場所性は完全に無視されていた。 次の案は本体の改造に加えて中庭側に大階段のデッキテラスを設けた(むしろこちらを主役にした)案で、やはりコストは無視されていた。それに対する審査員の質問にも、第1期に1500万で1階だけつくり、様子を見ながら2階、3階をつくれば、という回答だった。第1期だけでインパクトが無く終わってしまうのは見え見えだ。 3つめの案は理科大の研究室の案で、鉄骨のスケルトンに戻した中にもう一つの木のフレームを挿入し、木と鉄骨の対比を狙った力作だった。ただ、これもとても1500万でできる代物ではなく、案を作成した学生達が全員手弁当で無償で完成までずっと働くことが最低条件だ。 結局、3つめの案が選ばれたが、いずれにせよ、こうしたコストや労力を無視したコンペを仕掛けておきながら、外部からの無償の行為に依存し、従来通りのデザイン重視の審査をおこなった危機感のまるで無い事務局や審査員達にはひどく失望した。 これでは自分達の力で富士吉田が復活することなどできるわけがない。 お金が無ければ自分達でやる。 自分達でやるから愛着もわき、自信にもつながるのだ。 私はこれからもヨシザカの「自力建設」を自分自身に問い続けながら、いつかそれを実現したいと思う。そして地方の疲弊を自ら救う手伝いをしたいと思う。 かずま ![]() ![]()
by odyssey-of-iska5
| 2015-01-17 19:37
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