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2015年 07月 30日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇10.詩 Le soleil a rendez-vous avec la lune la lune est là la lune est là mais le soleil ne la voit pas il faut la nuit pour qu'il la voit 太陽は月と会う約束です 月はそこにいます 月はそこにいます けれども太陽には見えません 夜でなければ見えないのです タゴールの詩集「ギーターンジャリ」を読んでいる。 それは吉阪家の墓のフランス語で書かれた碑文がタゴールの詩から来ていると聞いたからだ。だが、それらしい詩はなかなか見当たらない。(もしかしたら「ギーターンジャリ」からの引用ではないのかもしれない) 丸善から出ている「DISCONT 不連続統一体 吉阪隆正+U研究室」は貴重な写真がいっぱいで見ていて楽しいが、中でも1959年に墓の前で生乾きのコンクリートの型枠を外してヨシザカと篠田桃紅さんが下描きの線の具合を見ている写真は格別おもしろい。 たぶんこの直後に桃紅さんが鉄筋か何かを使って一気に描いたのだが、見る度に何かを感じさせてくれる鋭い描線で、とても好きだ。 タゴールは彼の母国語であるインドのベンガル語で詩を書き、それをヨーロッパ人にもわかるよう英語に翻訳したが、ヨシザカはさらにフランス語に訳し、私達はそれを日本語で理解する。 二重、三重の手続きを経ているから、原語の音感や質感は変わっているはずだが、内容は現世と黄泉の国の物語で理解できるし、お墓の碑文としてなるほどなと思う。 ただ、最初に見た時はその意味がわからず、解き明かす努力をしていくうちに自然と何かを感じるしかけとなっている。 これと似たようなことは禅宗の尊者のつくった詩文でも経験した。 吉阪自邸のピロティの階段を上った所には20文字から成る漢詩がかかっていて、行く度にその意味がわからず頭を悩ませた。(原文のまま。右から下に読む) 無 隋 轉 心 喜 流 處 随 亦 認 實 萬 無 得 能 境 憂 性 幽 轉 どうやらこういう意味のようだ。 心は万境にしたがいて転じ 転ずるところまことによく幽(しずか)なり 流れにしたがえば性(物の自然の姿)を得ることを認め 喜びも無くまた憂いも無し 万物は移ろい行くものだと悟ってそのように対処していれば、むやみに喜ぶことも憂うこともなくなる、という意味だが、この禅宗独特の諦観的なニュアンスが不満だったらしく、ヨシザカは玄関脇にさらに西洋の格言も加えた。 「AUDOCES FORTUNA JUVAT」(大胆なれば幸運を掴む) いずれも最初は意味がまったくわからず、???だ。 また、意味がわかっても、しばらくは、‥‥‥だ。 そのうち、こうした「からくり」の醸し出す雰囲気が段々気持ちよくなり、染まって行くから不思議だ。 ヨシザカはこういうイタズラが好きでよくした。 もちろん、それは教養をひけらかすのが目的ではない。ラテン語やフランス語や中国の漢詩などにパラレルに接することで、日本語のベタベタした感触から自由になり、自由な思考、自由な感じ方をしたかったのだろう。 ヨシザカは生来、詩人だった。 それは彼の独特なネーミングの上手さや(論理的というよりは)直感的に垂直に落ちて来る言葉、断定的なもの言いの文章によく表れているが、それだけでなく研究室会議での会話でも飛躍に満ちた言葉をよく聞いた。彼の言葉はいつもスキップしていた。 私はコルビュジェの翻訳本ではヨシザカの訳したものが一番好きだ。 ヨシザカの訳は意訳が多くて正確さを欠くという言葉をよく聞くが、コルビュジェの本でコルビュジェがしゃべっているように感じられるのは唯一ヨシザカの訳だけだ。他の人の訳では、あの直裁で男性的なコルビュジェ像は伝わって来ない。 コルのアトリエで働き、身近に接した者だからこそ感じられるニュアンスや雰囲気が一番よく出ていると思う。 ヨシザカの言葉には匂いがある。 それは消えても永遠に変わらないものである。 かずま ![]()
by odyssey-of-iska5
| 2015-07-30 20:52
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