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2016年 07月 27日
![]() 「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇19.「ロンシャンの丘との対話」展 W大の會津八一記念博物館でやっている「ル・コルビュジェ『ロンシャンの丘との対話』展 ル・コルビュジェの現場での息吹・吉阪隆正が学んだもの」を観た。 これはW大が3年程前からロンシャンの礼拝堂とその建築群の調査をしていて、その実測図とコルビュジェの青焼きの図面が展示されているのだが、(それも興味津々だが、)私のお目当てはもちろん、ヨシザカがコルのアトリエで描いた図面と当時の日記を観ることだ。 2階の真ん中奥にそれはあった。ヨシザカが描いた原図を見るのは初めてだったが、全部で6枚あった。見ながら、(当たり前だが)ヨシザカも当時は図面を描いたんだ、スタッフしてたんだと思った。 特に1951年2月8日の、カプ・マルタンのロクとロブ(ヨシザカ曰く、連れ込み宿)の図面は右下に色鉛筆で彩色した外観パースのスケッチがあり、それがなかなか達者で驚いた。図面全体の鉛筆の描き方も力みが無く、スーッと描かれている。 また、同じ年の2月23日の、平和と免罪の教会堂(ラ・サント・ボーム)では、サインが隆で、その下に小さく1951.2.23と日本式の並びで描かれている。だが翌年になると慣れてきたのか、13 Fev 52 や 4 mars 52 とフランス式の並びになる。それと同時に図面の描き方がラフになり、親分のコルに似て来る。不思議なものだ。 対して、日記は読み難かった。(内容がではなく、字が) 私も悪字で読み難いと言われるが、ヨシザカの字も個性的で読み難い。 ただ、日記は手紙とは違って他の人に読ませるのが目的ではなく、備忘録的要素が強いので、自分だけが読めれば良いのだ。(帰国後、ヨシザカは「ル・コルビュジェ」という、コルについてきちんと書かれた最初の本を彰国社から出すが、その時、日記の果たした役割は大きかったろう) 初めてコルのアトリエに行った時のことや、マルセイユのユニテに行った時のことが簡潔に書かれている。 中でもおもしろかったのは、その日記に挟まれた菊竹さんの几帳面な字の手紙(ヨシザカが戦後第1回フランス政府給費留学生に選ばれ、渡仏する直前にヨシザカに宛てた物で、便箋は当時、菊竹さんが勤めていた竹中工務店のものだった)で、菊竹さんの初々しさと自信、そしてヨシザカに対する尊敬が感じられた。 二人に師事した私にとっては特別な思いのする手紙だった。 ヨシザカがコルのアトリエにいた1950年から52年の間にロンシャンの計画は始まる。 しかし、ヨシザカはロクとロブ、ジャウル邸、ナント・レゼのユニテの設計、マルセイユのユニテの現場監理に関わるが、ロンシャンには関わっていない。 だが、その設計過程を横目で見ながらウキウキしていたに違いない。 (私がコルの作品の中で何が一番好きか訊いた時、スイス学生会館とロンシャンの名を挙げた) W大の実測調査隊の学生にはさぞかし楽しい体験学習となったろう。 私も30年以上前にひょんなことからロンシャン村に3日間滞在することになり、毎日ロンシャンを観に行った。もちろん、大好きな建物だ。 ロンシャンからモダニズムは明らかに変容した。 その分岐点となった建物の調査結果をこれからも興味深く見守りたい。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2016-07-27 20:06
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