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2017年 01月 12日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺篇20.新しい学びの場 むしろ授業外で受けた影響の方がはるかに多い。 大体、私が修士で研究室に入った時はハーバードの客員教授でいなかった。帰ってきた後も忙しく動き回っているので、学内で接する時間は少なかった。会合の他に講演や執筆や旅行や山で、常に動きながら考え、発言し、食い散らかすように周囲に影響を与えながら、整理することはせず、ヨシザカは走り続けた。 私は幸運なことに2年間、夜間の専門学校のTAをしたので、その校長であったヨシザカと夜の酒の席で一緒に飲みながら話ができた。また、U研のコンペにいつも呼ばれたので、夜中に帰ってきたヨシザカと話したり、朝起きて降りてきたヨシザカとストーブを囲みながら談笑したりした。山やスキーにも一緒に行った。もちろん、研究室会議では毎回会って話をした。 そうした中で一番影響を受けたのは、建築や設計の話ではなく、生きていく姿勢や態度だった。 背筋を伸ばし、何におもねることもなく、年の上下や有名無名お金のあるなしに関係なく平等で、利害を恐れず自分を真っ直ぐ表明していく、気品のある生き方だった。 ヨシザカは大学という狭いカテゴリーから抜け出して、あらゆる場を学びの場、発言の場と捉えていたように思う。執筆は建築以外の主婦向けの雑誌や畑違いの雑誌、地方紙、チラシなど、頼まれれば何にでも書いたし、どこへでも出かけて講演した。 とりわけ、彼が校長を務めた夜間の専門学校の教育は、資格を得るための一般の専門学校の教育とは違って、ユニークだった。特に私がTAをしたクラスはなんでもありの不思議な授業で、ジュニア(故大竹康市)は毎回自分の言いたいことだけ書いた「番外地講座」というコピーをみんなに配って教室や居酒屋や旅先の沖縄で吠えまくり、マルキン(丸山欣也)さんも好き勝手放題を言ってみんなの頭をグラグラ揺らし、それを松さん(松崎義徳)は黙って見ていた。 この専門学校(今の早稲田大学芸術学校)は1964年に早稲田大学産業技術専修学校という名で始まり、私がTAになった78年から早稲田大学専門学校と名を変え、ヨシザカが校長になった。 この夜間の学校に対し、ヨシザカは並々ならぬ愛情を持っていた。それは、がんじがらめの大学教育ではできない何かをこの独立自由共和国でやりたかったからだろう。だが、それから2年後、道半ばでヨシザカは天国に逝ってしまった・・・ こうした体験は私の中に澱のように残った。 ふとした誤解からT大で教えることになり、19年それが続いた。 最初はすぐに辞めるつもりだったが、やってみると不思議に面白く、ワインを毎回持っていって授業の後に飲みながら本音で語り合ったり、夜6時からは別の授業をやったり、自分なりに工夫を重ねていったが、やはり大学の狭い枠組みや体質を変えるのは難しく、またそれに何の疑問も持たない学生達が飽き足らなくなり、肩を叩かれた時には喜んで辞めた。だが、やり切っていないモヤモヤは心に残った。 この度、元四ツ谷第四小学校跡地で活動しているCCAA (Committee of Citizen for Artistic Activities) で毎月第3土曜日の午後6時から8時半まで一般の人を対象に建築の講座を開くことになった。 身近な住まいを通してまちを考え、建築や都市(まち)を多くの人に愛して欲しいな、というのが動機だが、やり切っていないことをやり切りたいという思いと、私自身新たな学びの場に身を置くことでリセットしたいという思いもあった。 当初は簡単なテキストをつくってプログラムを構成する予定だったが、結局それを放棄し、無で臨むことにした。予定調和の先が見えたドラマは観る方もやる方もつまらない。それに、集まってくる一般の人の方がそれぞれの人生で得た多くの知見を持っているだろうし、それを引き出し、束ねることで新たな創造や展開ができたら、その方がおもしろいだろう。 生徒や先生のいない、羅針盤の無い旅のようだが、そのプロセスを楽しみながら私自身も多くのことを学びたい。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2017-01-12 19:58
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