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2020年 05月 13日
「ヨシザカについて私が知っている2、3の事柄」 拾遺編27. 山派の建築 海派の建築 吉阪研では毎年、夏は北アルプス、冬はスキーが恒例でずっと続いていた。 M2の夏に、ヨシザカとU研が設計した涸沢ヒュッテ「新館」を初めて見た。 (この建物は北穂、涸沢、穂高、前穂に囲まれた涸沢カールの扇の要の位置にあり、雪崩で2度流失した後、1953年に本館、55年に別館、63年に新館が建てられた。写真で新館は一番左側) ところが、遠くから見ると石積で囲まれてよくわからない。近くまで来て、やっと山小屋だとわかった。(雪崩や岩山の崩壊に対するディフェンスから来ている。 最近では屋根の上もデッキで覆われているようだ) 内に入ると窓が小さく、思っていた以上に暗い。天井もそれほど高くはなく、守られている感じだ。(ビバークしている感じという方がより近い) このことはその他の山小屋(黒沢池ヒュッテや山岳アルコー会ヒュッテ、ヒュッテアルプス、野沢温泉ロッジ、立山荘)でもほぼ同じで、というより、ヨシザカとU研が設計したすべての建物に通底している。(例えば、ヴィラ・クゥクゥや浦邸、自邸などの住宅、アテネ・フランセ、大学セミナー・ハウス本館、生駒山宇宙科学館、箱根国際観光センター案などなど) ヨシザカを始めとして、U研のメンバーのほとんどが山男で、普段から山や自然との付き合いが深かった。こうした点が建物の設計にも反映されているのだろう、窓や開口部は小さく、穴を穿った頑丈なものが多い。一見すると無骨だが、手や身体の触れる部分へのこだわりは強く、ディテールは凄い。 また、垂直水平の綺麗な箱のような建築は皆無で、どちらかというと変な形をした鈍なプロポーションの建物が多いが、自然に置くとそれらは妙に様になっている。 簡単に言えば、山派の建築だ。 それに比べ、ヨシザカの師でもあるコルビュジェの建物はスマートだ。 特に前半のインターナショナル・スタイルをつくっていく時代は、どれもが当時の流行のお手本のようで、スマートだ。 スイス学生会館を筆頭に、初期から、エスプリ・ヌーヴォ館、アメデエ・オザンファン邸、母の家、ペサックの集合住宅、ヴァイゼンホフ・ジードルンク、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸、クック邸、レ・テラス、サヴォワ邸・・・と、自らがつくった「新しい建築の5原則」に基づきながら、洗練と快楽の度合いの増していく様子がよくわかる。 旧来の伝統的で古典主義的なボザールと闘っていたコルビュジェにインスピレーションを与えたのは、船や車などの、実用的で機能的で無駄な飾りのない乗り物だ。 それをコルビュジェは「住宅は住むための機械である」と言った。 装飾にまみれたキャンバスをもう一度真っ白にして、そこに新しい絵を描くために、コルビュジェは直喩的な強い言葉で自身の目指す方向を示した。 (車や船の直喩的アナロジーは、シトロアン・ハウス('20'、22)やアジール・フロッタン('29)で結実する。パリの救世軍本部('29-'33)やマルセイユのユニテ('46-'52)は、私には船の比喩的アナロジーに思える) また、スイス山中のラ・ショー=ド=フォンで生まれ育ったにもかかわらず、コルビュジェは生涯、海を愛し、カプ・マルタンに休暇小屋('50)を設け、最期は地中海に抱かれながら亡くなった。海の変わらぬ水平線や透明性、明るさに、コルビュジェは強く惹きつけられたのだろう。 コルビュジェは(少なくとも前半は)海派の建築家だ。 だが、ヨシザカがコルビュジェのアトリエで働く1949-53年の頃には、コルビュジェは既に透明性から不透明で闇のある世界へ移行している。そして豊饒なるものが彼の建築の中へどんどん流れていく。その最たるものがロンシャン(’50-'55)だ。 コルビュジェの後半生は山派に向かって大きく舵を切った。 翻って、今日の建築の置かれている状況はどうなのだろう。 いつの間にか、経済性と機能性と明るさばかりで、豊饒なる闇や無骨で骨太な精神はどんどん失われていった。 その結果、海派の建築ばかりで、山派の建築は数えるしかない。 私は海と山と坂道の長崎で生まれ、小さい頃育った。 どちらか選べと言われれば、絶対、山派だ。 少なくとも「海」だけの建築は嫌だし、それに加担する気持ちはない。 かずま
by odyssey-of-iska5
| 2020-05-13 18:22
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